不幸を喜劇に!
世の中には、人の数だけ様々な不幸が転がっている。
我が家は夫婦共に精神疾患があり、旦那は今まさに鬱である。
日に何度か居間に顔を出し、その時に旦那の無事を確認する。
それで良いのか?と問われそうだが、良いと思っている。一方が深刻になっている時に、暗い顔で心配されたらかえって相手が気の毒だ。普通にしているのが一番だ。
自分が不幸だと感じている時、隣人の不幸など目に入らない。
悲劇の主人公になっている。
世の中には、思いもよらぬ不幸が無数にある。
そう聞かされても不幸は解消するものではない。解消するのならば、あなたはもともとそれほど不幸ではないと思う。
我が家も問題は山積みだ。先の見通しなど全くない。ひとつの問題が片付いたとしても、片付けなければならない問題が控えている。
でも、人生とはそういうものだと思う。
平穏無事などそう長くは続かない。
そして人は幸せには鈍感で、得てして不幸の方にばかり目がいく。
世の中には色々な形の不幸があるから、一概には言えないけれど、自分ばかりが不幸と考えていると、まわりが見えなくなる。
例え不幸な境遇にあったとしても、それを乗り越える力は皆が持っている。
誰しも必ず持っていると私は信じている。
できることなら、未来の自分が笑っている姿を想像したい。
そして「あの時、あんなことがあったね!」と、大切な人と笑い合いたい。
今は暗い闇夜でも、嫌でも朝はやって来る。
最後は必ず喜劇にしたいものだ。