私の考える自由とは
日々皆さんは働きそれぞれに社会貢献している。色々なことに縛られ、不自由な想いを抱えているのだろうと思う。
私は専業主婦で時間的な制約はない。何かに縛られている訳でもない。家事や日常の雑事を終えてしまえば、あとは自由に時間を使っている。
あなたはそういう生活を羨ましいと思うだろうか?
私は今自分にできることをやっているまでだ。社会に出て働くことを試みたことも何度もあった。ことごとく失敗した。
自分には他の人が簡単にできることをこなしていく能力がない。それは長い間自分のコンプレックスだった。
果たして自分にできることは何だろうか?と堂々巡りしていた。
自由とは何だろうか?
立派に社会貢献している人でも、自由な心を持った人は沢山いるだろうと思う。
時間的なゆとりがいくらでもあっても、心が不自由な人もまた沢山いる。
自由とは心の問題なのだと思う。
私は長い間不自由だった。時間は腐るほどあるのに、文字通り大切な時間を腐らせていた。
しかし、その時間を無駄だったとは思わない。
今はとても自由だ。穏やかに流れる時間に身を任せている。今自分ができることの中から、その時できることだけをやっている。
とても贅沢だと思う。
ただ、そもそもの最初からこの生き方を望んでいた訳ではない。今やっと自由だと思えるようになったのだ。
もし、私の生活を羨ましいと思う人がいたら、疑問符が出てしまう。
やれることが多ければ多い人ほど私は羨ましい。
私は「これだけのことしか、できない」と気づいた時とてもショックを受けた。しかし、受け入れるしかない。
社会に出ている方でも能力には幅があると思う。
かつて社会の中でいわゆる「できない人」の中にいた私は、発病後ますます「できない自分」になった。受け入れるまでに時間がかかった。
私が今考える自由とは、自分が今できることに気づき、それを実行していく中にあると思う。
ただ、時の流れに任せてダラーっとしているのもある意味自由だけれど、自由な気持ちにはなれないと思う。
自由には何か満たされる感覚が必要だと思う。
例え忙しい中に身を置いている方でも、きっと心の自由を獲得することは可能だと思う。
甚だ勝手な自由についての考察だけれど、あなたの心がどうぞ自由でありますように!