決断は自分でする
人は、どんな境遇にも慣れてしまうようだ。例えば旦那が本格的に休職して、三ヶ月以上経つが今の生活にも、もう慣れてしまった。
お互いの障害を承知で結婚したのだから、どちらかが調子を崩すのは覚悟の上。旦那二回、私一回の入院生活を含む結婚生活だ。
慣れというのは本当に怖い。良い習慣を持つのなら大歓迎なのに、悪い習慣には驚くほど人は早く順応してしまう。そして、そこから抜け出せなくなる。
意志をしっかりと持ち、生活をきちんとコントロールできている人は世の中にどれくらいいるのだろう?時にはダメだダメだと言いながら、誘惑に勝てずハマってしまう。
ギャンブルや酒。煙草などの依存症もそうだ。そして異性に依存する人間も中にはいる。
私など、酒以外は殆んど満たしているといってよい。
お酒だけは不思議と飲まない。これは意志の力というより、どちらかというとお酒が必要ないのだ。かつてお酒を飲んでいた頃は、酒癖が非常に悪かったので、飲まない方が皆のためだとも思っている。
しかし、ダメよダメよと言いつつハマってしまう人間て、本当に愛すべき動物だと思う。
その弱さを許すか、目くじらを立てて怒るか。
もちろん依存症は深刻な問題なので、許せるものではない。私の依存症も最早笑えないところまできている。
そういう悪い習慣や依存症から抜け出すのは、最終的には意志の力だと思う。深刻な依存症の場合、まわりのサポートも必要だと思うが、本人に禁止することがサポートではない。無理やり禁止してもその行為をする言い訳になるだけだ。健康を害しても自分の責任なのだ。だからまわりは見守るしかない。
本当に見守るしかないのだ。もし、配偶者が深刻な依存症で困っているのなら、最後まで見守るか、自分の人生を考え直して離婚するかの二択しかないような気がする。
本人ができることは、その状況を「変えるか、変えないか。」だけ。まわりの愛の力で依存症が治るなら苦労はない。
「変えるか、変えないか。」選ぶのは自分の意志の力だ。
自分も含めて本気で考え直していかないといけない。まわりには自分を大切に思ってくれる人が多分いる。自分はそのまわりの人を果たして大切にしているだろうか?その人たちに恥じない生活をしているだろうか?
自分の行為で傷つき、苦しむ人がいることを本当に分かっているだろうか?
それに気づくか、気づかないかだけで物事はだいぶ違って見える筈だ。
大切な人を失ってしまうまえに本気で考えてみたい。