「執着心が起こす弊害」の裏話

 

私は過去のある時期に、ある一人の男性に執着していたことがあった。

それこそ、付き合っている訳でもない相手に、毎日電話をし完全なるストーカーだった。

 

今思えば、純粋に相手を好きだった訳ではない。

ただただ、自分のことを嫌う相手に認めてもらいたい一心だった。

 

前回私は「執着心が起こす弊害」についてブログを書いた。あれは、その時期の自分自身の心を振り返りながら書いたものだ。

あとになって気づいたことの方が多いが、結果的に執着とは自分自身の心の問題に尽きるということ。

相手の態度などは関係ないのだ。

 

私は個人的に、執着をもたらすのは、愛情の欠落だと思っている。

私は父との関係に問題を抱えていた。統合失調症になり、社会に適応できなかった私に、社会不適応者と平気で言うような父だったし、暴言も何度も吐かれた。

今になってみれば父の心理もいくらかは分かる。病気を受け入れるのは本人はもちろん、家族にとってもとても難しい。

 

私を認めない父の態度と、その男性の態度が重なって見えた。

誤解のないように言っておくけれど、その男性は私に暴言を吐いた訳ではない。

ただ、自分のことを「認めてくれない」という一点においてだ。

 

結局いつまでもその男性に執着することになってしまったが、執着していたのは実は自分の劣等感にだったのだと今なら分かる。

私は長い間変われなかった。自分のことを受け入れられず、自分のことを嫌う相手にばかり固執した。

 

不毛なことばかりしてきたような気がする。

 

この過去は今になって私に気づきを与えてくれた。

 

人間はやはり、自分を受け入れ愛することが自然だということ。

 

私はまだその「途中」なのかもしれないが、無駄な過去などやはりないのだ。

 


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