何かを責めている間は、何も変わらない
内省することは良いことだと思う。
自分が何故、あの時あんな行動をとったのか。失敗の原因は何だったのか?
私は過去に、自分のことばかりを考えていた時代があった。
何故、自分はこうなったのか?
自分や他人を責めてばかりいた。自分を責めるも他人を責めるも同じことだと思う。
建設的ではないし、自己中心的であったと思う。
内省とは、何かを責めることではない。でもそんな罠に時としてハマってしまうこともあるのでは、と思う。
自己を反省したのなら、次には行動がなければダメだと思う。
失敗の原因が分かったのならば、同じ間違いを繰り返さないよう、考えながら行動しなければまた失敗してしまう。
しかし、そこが人間の弱さで、パターン化された行動を繰り返してしまいがちだ。
私だけだろうか?
私が思うのは、人間は変化し続けたほうがいいということ。確かに変わらないで持ち続ける魅力というのも存在する。
しかし、地球上にあるもの、森羅万象は全て変化し続けている筈だ。
人間も、変化するのが自然であるような気がする。
以前の私は、自ら変化を拒否していたようなものだ。
何かを責めているうちは、何も変わらない。分かってはいるものの、責めるのを止められない。
動かなくて良い、自分への言い訳作りにはもってこいだった。
今の私はと言えば。やはり懲りずに同じことを繰り返している。
何かを責める気持ちは不思議と無くなった。
私は何人かの人に『人間は変わるのか?』と問うたことがあるが殆んどの人の答えは『変わらない』だった。寂しい答えだと思う。
確かに根本は変わらないのかもしれない。
しかし、変化し続ける努力は忘れずにいたい。