相手を『思う』とはどういうことだろうか?

 

人は、個人の人格を誰しも持っている。

 

私たちは、何故相手に何かを望んでしまうのだろう。

人に期待しても、何かを望んでも叶えられることなど、殆んどないというのに。

 

人は誰しも、ある程度自己中心的な面を持っているのだろう。

 

例えば、あなたの大切な人が何かを望んでいたとして、それがどんな望みであっても、あなたは相手の決断に任せられるだろうか?

 

それが、結果として不幸を招くだろうと思われる事だとしても、相手の決断に任せるべきなのだろうか?

 

前向きな決断ならば、誰もが喜んで賛成し、応援することも容易いだろうと思う。

 

人には様々な望みがある。危ない橋を渡っていると、端から見れば思えても、自分にはアドバイスすることくらいしか出来ないのか?

 

それとも必死になって止めるべきなのか。

 

運命に対して、どういう態度を取るべきなのだろう。

 

真剣になって、相手を『思う』ということはどういうことなのだろうか?

 

相手の意志を尊重するということが、時として難しい場合がある。

恨まれても、必死に止めなければならない時もある。

せめて、お互いの妥協点を見付けるくらいしか出来なくても。

 

 

人との関係はとても難しい。

 

相手がそれとは知らずピンチに陥っている時に、あなたならどうするだろうか?