時間と自由

 

時間はその人それぞれのリズムで流れているそうだ。

 

一時期「いま、ここ」という言葉が盛んに使われていたことがあった。私も意味も理解せずに使っていた。記憶に新しいと思う。

 

私たちが生きているということは、時間と共にあるということだと思う。

過去を懐かしんだり、未来に想いを馳せて心踊らせたりしている。でも基本的には私たちには「いま」しか体験できないのだそうだ。

当たり前といえば当たり前と思われるかもしれないけれど、私は「いま」を見失いがちだった。過去に縛られ過ぎていた。

 

楽しい時間は永遠に続いて欲しいと思う。けれど、苦しい時間は一瞬であって欲しいと願う。でも「いま」しか生きられないのだとしたら、一瞬一瞬を慈しむことができないのはとても勿体ないと思う。

 

確かに苦しい時間を慈しむ余裕なんてない。苦痛で苦痛で仕方がない。逃げ出したいと思う。けれどそれが「いま」なのだとしたら、その「いま」を生きるしかない。

 

自由にならないとは、時間に縛られている状態だ。心も身体も両方だ。

可能かどうか分からないけれど、時間を主体とするのではなく、生きている自分を主体とすれば良いのではないかと思う。時間を味方にする感じだ。

 

人間が本来のリズムで生きられないのは、きっと時計が刻々と時を刻むからだと思う。時計の針にせっつかれて、せかせか動かされている。

 

自由とは「いま」の中にしか存在しないと思う。だって私たちは「いま」しか経験できないのだから。逆にいえば「いま」が自由だとも言えると思う。

 

時間をどういう観点から見るかによって心の「自由度」が決まる気がする。時間を使うか、時間に使われるか…。

 

これを読んでくれた方がどういう風に感じるかは分からない。

 

できれば時間を味方につけて「いま」を存分に充実させて欲しいし、自分もそうありたいと思う。

 


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